紀要論文
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現代青年に特有な友人関係の取り方と自己愛傾向の関連について
 岡田 努 
 立教大学教職研究,9,21-31,1999


問題と目的
(1)現代の青年の友人関係 青年期の友人関係は,人格的な共鳴のできる深い関係を渇望し,また,そのために,厳しい友人の選択がなされると言われてきた(西平,1973など)。  しかし,現代の青年の友人関係は,表面的に円滑な関係を取ることで内面的な関わりを避ける傾向があるという指摘が,見られるようになってきている。上野・上瀬・松井・福富(1994)は,現代青年の交友関係の特徴として,表面的,個別的,密着的,個別的の4つのパターンを見いだした.また岡田(1995)は 互いに傷つけあわぬよう気を遣う・互いの領域に踏み込まぬよう,関係の深まりを回避する・楽しさを追求し群れる,といった3つの特徴を大学生の友人関係の特徴として見いだした。
 栗原(1989)は,現代の青年の友人関係を,自他を傷つけることやアイデンティティの問題を回避すること,友人を自分の内面に立ち入らせないこと,群れていることでの安心感に支えられていることなど,ナルシシズム的で自己中心的な閉じられたやさしさによって特徴づけられるとしている。この背景として,1960年代末から70年代にかけての若者文化のキーワードであった「やさしさ」が,管理社会の進行とともに次第に「自他を傷つけない」という自己中心的な意味に変容してきたことを指摘している。同様に,距離を置いて,傷つけ合わない,相手の気持ちを詮索せず,踏み込まず,なめらかで暖かい関係を保つことが,現代の青年の対人関係における必要な「やさしさ」であるとする指摘が見られる(千石,1991;大平,1995など)。このように,現代の青年の友人関係の特質は,傷つきやすさや自己愛(ナルシシズム)の問題が関連しているといえる。
 町沢(1998)は,現代の青年には,自分が特別であるはず,あらねばならないという意識をもつ自己愛病理が顕著に見られるとしている。また,一方で,対人関係においては傷つきやすく,対人関係が下手なために孤立するといった傾向も見られるという(大澤・町沢・香山,1998)。諏訪(1998a,b)は,現代の子どもたちは,自分自身の欲望や衝動を規制されることなくそのまま受け入れるような養育を受けてきたために,幼児期の全能感が修正されないまま成長してしまうとしている。そのため,青年期になっても,自己を客観視したり,自他を比較することなく,自分中心の生き方を普通であると思いこんでしまうという。また,梶田(1998)は,現代社会においては,自己内対話の習慣がなくなり,自己の本源的なものとの接触が失われてしまったため,利己的,自己中心的に振る舞った時の満足感を,自分の本源的なものとの接触と勘違いしていると指摘している。
 以上のように,臨床の対象とはならない青年一般における自己愛の問題が関心を引いている。
(2)健康な自己愛と病理的な自己愛 自己愛とは,本来,自分自身に対して,性的願望を向ける病理としてFreud,S.によって記述されたものである。しかし一方で自己愛は,創造性や自尊心などの源泉としての肯定的な側面も含まれると考えられている(細井,1981;Raskin,Novacek,& Hogan,1991など)。
 精神分析学者のKohutは正常な自己愛と病理的な自己愛を連続的なものとしてとらえている。幼児期の自己愛は「誇大自己(grandiose self)」と「理想化された親のイマーゴ(idealized parent imago)」からなり,健康な発達においては,両者が適度に満たされながら,その非現実的側面が次第に解消されていくとしている。一方,両親が子どもの自己愛を満たすことが出来なかったり,反対に甘やかしや過剰な賞賛などによって非現実的な誇大自己を固着させてしまったものが,病理的な自己愛であると考えられている(コフート,1971;オールスタイン,1978;宮下・上地,1985;Gabbard,1994)。そして,自己愛の病理の現れである自己愛人格障害の特徴として,傷つきやすく,自己に対するまとまりが断片化しやすいなどの特徴を挙げている(Gabbard,1994)。
 同じく精神分析学者のKernbergは,両者をむしろ質的にも異なったものと考えている。すなわち,正常な自己愛は,攻撃性と愛情が統合された正常な自己に対するリビドーの投資であり,病的な自己愛は,攻撃性と愛情が未統合なままの自己及び対象表象からなる「病的誇大自己」へのリビドー投資であるとされている(カンバーク ,1984)。そして,自己愛人格障害の特徴として,嫉妬深く他者からの賞賛や注目を渇望するといった傾向に注目している(Gabbard,1994)
 こうした理論上の相違の背景には,Kohutが人格水準の比較的高い外来ケースに基づいた理論を提出しているのに対し,Kernbergが入院治療での重篤なケースも含めた理論化を行っているという相違も指摘されている(Gabbard,1994)。そして多くの自己愛人格障害は,他者の目を気にして内気で過敏な“hypervigilant”タイプと,周囲を気にせず傲慢でサディスティックな誇大自己を主張する“oblivious”タイプの両極の間に位置づけられるといわれている(Gabbard,1994;狩野,1994)。すなわち,Kohutによる自己愛人格障害の特徴はhypervigilantタイプの特徴に近く,Kernbergにおけるそれがobliviousタイプの特徴に近いと言うことができよう。しかし,いずれの立場においても,自己の誇大性の主張が公然と表現される点など,病理的自己愛についての見解には共通性も見られる(宮下,上地,1985)。
(3)自己愛の測定 自己愛の特性について質問紙調査項目による測定がこれまで数々試みられてきた。細井(1981,1984)は,ナルシシズム尺度を作成し,「顕示傾向」「同一性傾向」「野心」の3因子を見いだした(細井,1984)。細井の研究ではでは,ナルシシズムを「自己への強い関心」ととらえており,項目内容も,健康な側面にしぼった自己愛傾向を測定している。
 Raskin&Hall(1979)は,一般健康者も含めた病理的自己愛人格を測定する目的で,NPI(Narcisssistic personality inventory 自己愛人格目録)を作成した。本尺度はアメリカ精神医学会のDSM-Vの自己愛人格障害に関する記述に基づいて作成されたものであるが,その後の研究では,一部の下位尺度(Exploitness/entitlement)を除き,自我の健康さの指標との相関が高く,健康な自己愛を測定しているとする指摘がなされている。(Emmons,1984;Watson,Hickman,,Morris,Milliron,& Whiting,1995;Perry,& Perry,1996など)。一方,精神病理的兆候とNPIの関連においては,反対に,“”Exploitness/entitlement”因子についてのみ相関関係が見られ,他の因子では関連がないことも見いだされている(Emmons,1987)。
 小塩(1998)はNPIを邦訳し因子分析の結果「優越感・有能感」,「注目・賞賛欲求」,「自己主張性」の3因子を得たが,「注目・賞賛欲求」以外の因子において,自尊感情との高い相関関係が得らた。自尊感情が対人緊張の低さや他者受容など適応の示標として有効であること,「注目・賞賛欲求」因子と“Exploitness/entitlement”因子は多くの共通する項目から成ることなどから見て,邦訳版においても,NPIは,「注目・賞賛欲求」因子を除いて自己愛の健康な側面を測っているものと考えられる。
 一方,NPIとは別に,病理的な特徴に基づいた自己愛の程度を測定するための尺度作成も試みられている。Robiins& Patton(1985)は青年期後期から成人期について自己愛の成熟ないしは未熟の度合いを測定する尺度を作成し,「理想化傾向」「誇大性」の因子を得た。しかし「理想化傾向」因子は,「自分の人生がどういう方向に流れているのか心配だ」などの項目からなり,自己愛の未熟性よりもむしろアイデンティティ拡散状態と呼びうる項目内容となっている。またLapan & Patton(1986)は,10代の比較的低年齢で治療を受けている青年を対象として,Kohut理論に基づいて病理的自己愛の特徴についての尺度を作成し,“pseudautonomy(偽自律性)”,“peer-group dependence(仲間集団への依存)”の2因子を得た。
(4)友人関係と自己愛傾向 小塩(1998)は,自己愛傾向を青年期に特有の人格的特徴とした上で,友人関係の特質とNPIおよび自己評価の関連について検討した。その結果,広い友人関係をとる青年ほど自己愛的な傾向が高く,とくに広く浅いかかわり方をする青年は,「注目・賞賛欲求」因子での得点が高かった。また反対に,深い友人関係を取る青年は,自己愛が低く,自己評価が高かった。
 しかし先に述べたようにNPIは基本的には健康な自己愛に近い特徴を測る尺度と考えられ,現代青年に特有な友人関係が自己愛病理とどのようにかかわるかについては,これまでの研究では明らかになっていない。
 以上のことから,本研究では,病理的な特徴に基づいた自己愛の程度を測定する尺度を作成し,現代の青年の友人関係の特質との関連を検討することを目的とする。  なお,岡田(1995)で用いられた尺度は,その後の検討において必ずしも安定した因子構造が得られない(岡田,1997)ため,本研究では,改めて項目を作成追加した上で,再度尺度作成を試みる。

方 法
調査対象
関東甲信越の4,5年制大学学生 1年次から5年次(18〜24歳 平均20.24歳)
有効回答数145名(男子51名 女子94名)
調査時期 1998年11〜12月 講義時間内および一部留置法
尺度
以下の項目を作成し質問紙調査を行った。
1)病理的特徴に基づく自己愛に関する尺度項目:Lapan& Patton(1986)にもとづき,項目を作成した。Lapan&Patton版では,自己愛病理的な態度・行動と,対となる健康な態度・行動の16対の項目からなり,各対のいずれかにあてはまるものを強制選択させる形式となっていた。しかし,こうした手続の場合,両極の態度・行動に対する回答しか得られず,1,0データの名義尺度となってしまうなどの問題点があるため,本研究では通常の評定尺度として用いることとした。また先に述べたように,原版では,低年齢の実際に治療を受けている青年を対象とした項目であるため,そのまま大学生世代の一般青年に適用することには無理があるため,原文の意味を反映しながらも,日本語としての意味の通り易さを優先して新たな項目として作成した。
2)自己愛人格尺度(NPI):1)の尺度との併存的妥当性の検討のために施行された。本尺度はRaskin,& Hall(1979)によって作成され,小塩(1998)が邦訳したもの。自尊感情や自信など強い自己肯定感を表す「優越感・有能感」,他者からほめられたり,注目の的になる,あるいは他者を支配したいなど権力志向的な意味あいも含む「注目・賞賛欲求」,自分の意見をはっきり言い,自ら決断するなどの「自己主張性」の3因子計33項目から成る。 3)友人関係尺度 岡田(1995)の友人関係尺度の再検討として,岡田(1991);大平(1995);片岡(1997)などの記述を参考に,互いに傷つくことを回避する傾向,関係の深まりを避ける傾向,群れて楽しい関係を求める傾向などの観点から項目を追加し,新たに計50項目の尺度項目を作成した。
 各尺度とも「全くあてはまらない」(1点)〜「非常にあてはまる」(6点)の6件法である。

結 果
(1)尺度の分析 病理的特徴に基づく自己愛に関する尺度項目:主因子法(抽出因子数2因子)による因子分析を行いVarimax回転を行った。.4以上の因子負荷量を持つ項目について採択し,解釈を行い,第T因子を「他者からの評価への過敏性」,第U因子を「自己中心的主体性」と命名した。第T因子は,「自分の強いところを見せて他人から尊敬されたい」以外すべてLapan,& Patton の“peer group dependence”因子と一致し,第U因子はすべて“pseud-autonomy”因子と一致した。各因子に対応する項目についてCronbachのα係数を求めたところ第T因子で.797 第U因子で.572となり,第T因子についてはほぼ信頼性が得られたが,第U因子については十分な信頼性は認められなかった。よって,以降の研究では第T因子に.4以上の負荷量を持つ項目のみを用いて「他者評価過敏尺度」とする(表1)。本尺度の合成得点とNPI各因子との相関を求めたところ,「注目・賞賛欲求」因子との間でr=.425の高い相関関係が見られ,併存的な妥当性が確認された(表2)
友人関係尺度:本尺度は,現代青年の友人関係について測定するものであり,得られる因子同士に関連性が想定されるため,主因子法,Promax斜交回転による因子分析を行った。固有値の減少などを参考に因子数を3〜5の間で検討し,もっとも解釈可能な4因子構造を採択した。負荷量.35以上の項目について,以下のように解釈した。第T因子は,「自分の心をうち明けて話す(逆転項目)」「本当の気持ちは話さない」など自分自身の内面を相手に見せないようにする項目から成り「自己閉鎖」と命名した。第U因子は,「友だちからどう見られているか気にする」「友だちから「つまらない人」と思われないよう気をつける」など,友人から否定的評価を受けたり,それによって自分が傷つくことを警戒する内容の項目から成り「自己防衛」と名付けた。第V因子は,「友だちを傷つけないようにする」「相手に自分の意見を押しつけないよう気をつける」など友だちを傷つけたり不快がらせないように気を使って接する項目から成り「友だちへのやさしさ」因子と命名した。第W因子は「冗談を言って相手を笑わせる」「みんなで一緒にいる」など,群れながら楽しい関係を持とうとする項目から成り「群れ」因子とした。各因子ごとのα係数は表3に示す通りすべて.7〜.8台であり,ほぼ十分な信頼性が確認された。各尺度の合成得点の平均値と標準偏差および男女間での平均値の差の検定の結果を表4に示す。ここにあるように,NPI全体および,優越感・有能感および注目・賞賛欲求で男子の方がp<.01で有意に得点が高かったが,他の尺度については有意な差は見られなかった。
(2)友人関係と自己愛 友人関係尺度の各因子と他者評価過敏尺度,NPIとの相関係数を表5に示す。ここに見られるように,調査対象全体では,友人関係の「自己防衛・傷つき回避」は他者評価過敏尺度及びNPIの「注目・賞賛欲求」との間で,r=.471〜.573(p<.01)の高い相関関係が見られた。また「群れ」はNPIの「自己主張性」との間でr=.311(p<.01)の緩やかな相関関係が見られた。男女別での相関係数については,「傷つき回避」と他者評価過敏およびNPIの「注目・賞賛欲求」との間では,男女ともr=.385〜.792(p<.01)の相関関係が見られたが,「群れ」と「自己主張性」との相関については,女子においてr=.371の緩やかな関係が見られたものの,男子では無相関(r=.199)であった。また「群れ」と「優越感・有能感」との間でも,女子ではr=.223(p<.01)と弱いながらも無相関とは言えない関連性が見られたのに対し,男子では無相関(r=.106)であった。

考 察
他者評価過敏尺度は,他者からの評価に依存し,それによって自分自身の安定を得ようとする傾向を表していると考えられる。よって本尺度は先に述べた自己愛病理の2極のうちのhypervigilantに近い特性を測っているものと考えられる。一方,obliviousな特性は第U因子に反映されていると考えられるが,十分な信頼性が得られなかった。これは,本研究が,臨床ケースではなく,一般青年をサンプルとしたため,より重篤な病理を示す特性が,まとまりをもった尺度とはなり得なかったためと考えられる。
 本尺度はNPIの「注目・賞賛欲求」因子との間で高い相関関係が見られた。このことは,本尺度が自己愛の病理的な側面に関する特徴を測っているという妥当性の検証となるとともに,以下のように考えることもできる。すなわち,「注目・賞賛欲求」因子は,自分自身が他者から肯定的に評価されることを強く期待する項目内容から成っている。一方,他者評価過敏尺度は,他者から否定的な評価がなされることに対する不安や警戒を意味する項目から成っている。両者の間に高い相関関係が見られたということは,自己愛病理における他者から注目賞賛を求める欲求は,自分自身についての堅固な高い自己評価に基づくものではなく,むしろ他者からの否定的評価によって容易に覆されてしまう不安を伴ったものであるということになる。これはKohut理論における,断片化しやすく,理想化転移を起こしやすい自己愛人格障害の特徴(狩野,1994)とも符合するものである。
 友人関係尺度との関連においては,「自己防衛」因子が,自己愛の病理的側面である他者評価過敏尺度およびNPIの「注目・賞賛欲求」因子との間で高い相関関係が見られた。つまり,自己防衛的な友人関係を取る青年は,自分自身の自己愛が,他者の評価に規定されてしまいやすく,また他者からの注目や賞賛を常に得ていないと自己愛を維持できないために,傷つけられることを警戒しているものと考えられる。また,群れ傾向が特に女子において「優越感・有能感」「自己主張性」という健康な自己愛との関連が見られたことから,群れ傾向を示す女子青年は,適応感が高く健康な自己愛を持つことが示唆される。しかしこれは,友人との円滑な楽しい関係という身近な出来事によって,健康な自己愛が規定されてしまうために,表面的に群れて関係を良好に保つことに,固執せざるを得ないという見方もできる。これは上野他(1994)において,同調性の高い「密着群」「表面群」が身近な事象に関心が限定される私生活主義的傾向を示していたこととも一致する結果といえる。下斗米(1999)は,対人親密化が進行するためには,関係における課題の変化と,葛藤の解決の過程が必須であるとしている。現代の青年は,そうした葛藤を避けて,関係の深まりよりも当座の良好な関係を維持するのでなければ,自己の安定を保ちえないのかもしれない。(ただし,本研究のような相関研究では,因果の方向までは検証できないため,こうした考察はあくまで可能性を示唆するにすぎない)。
 本研究の結果によれば,現代の青年は,身近な他者の評価に対してきわめて敏感であり,「問題と目的」において述べたように,自他の比較を行わず自分中心の生き方をしているという指摘は必ずしもあてはまらないと言えよう。このことは,青年の衝動統制の困難さ(いわゆる「キレる」「逆ギレ」など)についても,単に幼児的全能感に基づいた欲求が阻止されたための爆発というよりも,否定的評価にさらされ,攻撃衝動を統制できなくなるほど自己愛が傷ついたことの現れと見ることもできる。他者との比較に過剰に縛られることが,逆に衝動など内部状態への認知も含めた,現実的で等身大の自己イメージを持つことを困難にさせているとも言えよう。また,いわゆる父性復権論(林,1997)などに見られる,教育・養育における統制強化が,現代青少年の衝動性の問題解決には必ずしも結びつかないこともは,必ずしも結びつかないことをも示している。

引用文献